社交ダンスは、「上手い」だけでは、何かが足りない
今日のブログは、3,595回目のブログ記事になります。
社交ダンスの上達を目指して、日々テクニックを磨くことは、とても大切で素晴らしいことです。
美しいステップ、正確なリズム、洗練されたホールド…それらを追求する努力は、ダンスの質を高めてくれます。
しかし、私たちヒロスとミスズは、長年社交ダンスに携わる中で、強く感じていることがあります。
それは、どんなに優れたテクニックを持っていても、それだけでは社交ダンスを心の底から楽しむことはできない、ということです。
なぜなら、社交ダンスは一人で踊るものではなく、必ず「二人」で組んで踊るものだからです。
そこには、技術だけでは測れない、もっと大切なものが存在していると思います。
今回は、社交ダンスにおいて技術と同じくらい、もしかしたらそれ以上に重要かもしれない「人間性」や「人格」について、ヒロス流考え方として書いていきたいと思います。
なぜ「人間性」がダンスの楽しさを左右するのか?
想像してみてください。どんなにステップが完璧な相手でも、
- リードが自己中心的で、こちらの動きを全く考慮してくれない…
- ちょっとしたミスを、すぐに不機嫌な態度で示してくる…
- コミュニケーションを取ろうとせず、黙々と踊るだけ…
- 感謝や優しい言葉がまったくない…
そんな相手と踊っていて、心から「楽しい!」と感じられるでしょうか?
おそらく、答えは「ノー」でしょう。
二人で踊る社交ダンスだからこそ、相手を思いやる心、尊重する態度、そして温かいコミュニケーションといった「人間的な魅力」が、技術テクニックと同じくらい、あるいはそれ以上に、その場の空気やリードやフォローの質、そして何よりも「楽しさ」に大きく影響すると思います。
優れたテクニックも、思いやりのない心、やさしさの少ない気持ちの前では、テクニックの輝きを失ってしまうはずです。
ダンスフロアは「人格」を映すと思います
不思議なことに、ダンスフロアでの立ち居振る舞いには、その人の「素」の部分、つまり「人格」が自然と表れるように感じます。
- 失敗した時に、どう対応するか(相手や自分を責めるのか、前向きに切り替えるのか)
- 人に教える時、あるいは教わる時の態度(謙虚さ、丁寧さ、感謝の気持ちはあるか)
- 周りのカップルへの配慮(ぶつからないように、スペースを譲り合うなど)
- 挨拶やお礼をきちんと言えるか
など、一つ一つの行動に、その人の内面が映し出されているように感じます。
だからこそ、社交ダンスは、テクニックを磨くことと同時に、自分自身の内面を見つめ、より良い人間であろうと努める「人格を磨く」ための、素晴らしい趣味だと思います。
「共感」と「協力」: 二人で踊る社交ダンスが教えてくれる大切なこと
社交ダンスは、まさしく「共感」と「協力」の運動だと思います。
違う個性を持つ二人が、一つの目標(=心地よく、楽しく踊ること)に向かって力を合わせて踊るからです。
- 尊重し合う: お互いの意見や感覚の違いを認め、尊重する。
- 補助、助け合う: 相手の得意な部分を活かし、苦手な部分をフォローし合う。
- 二人で踊りやすくする: 一緒に課題を見つけて解決、改善していく、上達の喜びを分かち合う。
この相手とうまくやっていく配慮そのものが、良い人間関係を築くための実践的な学びの場になると思います。
経験や体力が違う相手の立場に立って考え、協力し合うことの大切さを、社交ダンスは体を通して教えてくれるはずです。
テクニックと人間性を磨こう
少し哲学的で、難しい表現ではありますが、私たち(ヒロスとミスズ)が考えている社交ダンスでは、ステップが上手くなることや、どんどん上手になることだけではありません。
社交ダンスを通じて人と繋がり、互いを思いやり、協力し合う中で、人間として成長できることにも、大きな価値があると私たちは信じています。
テクニックを磨く努力は、もちろん楽しさの一つです。その中で同時に、
- 一緒に踊る相手への感謝と尊重の気持ちを忘れない
- 周りの人への配慮を心がける
- 謙虚に学び続ける姿勢を持つ
といった、「人格」を磨く意識も大切にしてもらえたらいいと思います。
技術と人間性、この両輪がバランスよく回ってこそ、社交ダンスが楽しくなり、あなた自身も、そして周りの人も幸せにする、心豊かなものとなるはずです。
社交ダンスを通して、技術だけでなく、人としても一緒に成長していきましょう。
社交ダンスで学んだヒロス流考え方の話でした。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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